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いきもの図鑑(さくらももこ)の中で好きなエッセイはヒヨコ
さくらももこさん死去。ボクは、さくらももこさんのエッセイが好きで、ほとんどの作品は読んでいる。2018年8月15日にさくらももこさんが亡くなったという話をニュースで知り、手元にあるさくらももこさんの著書を読み直している。
昨夜、読み直したのが『ももこのいきもの図鑑』マガジンハウス(1994年3月24日初版)という本で、さくらももこさんの生き物についての思い出話が綴られている(全47話)。その中に「ヒヨコ」という作品がある。書き出しはこんな感じ。
ヒヨコといえば縁日だ。かつて私も縁日でヒヨコを欲しがり、一度だけ買ってもらった事がある。今思えば、なぜあの時黄色のヒヨコにしなかったのかと悔やまれるが、当時の私は大馬鹿であったため、毒々しい緑色のヒヨコを選んでしまった。姉はショッキングピンクのヒヨコを手に取っていた。
着色されたヒヨコは非常に弱っており、すぐに死んでしまうものである。私のミドリちゃんも、うつろな目をしており、家に帰るまでの短い時間にも何度かよろめいていた。姉のショッピンちゃんも同じような状態であった。
翌朝私のミドリちゃんはもう死んでいた。私は亡く亡くミドリちゃんのお墓をつくり、あまりない思い出を思い出し、亡きヒヨコをしのんでいた。後を追うように姉のショッピンちゃんも死亡した。(『ももこのいきもの図鑑』ヒヨコより引用)
ボクも小学校四年生のときに縁日でヒヨコを買ってもらったことがある。当時は、着色されたヒヨコは売っていなかった。ヒヨコを連れて家に戻ると、ピヨピヨ鳴きながらボクのあとをついてくる。可愛くて仕方ない。三日後、ヒヨコは死んだ。ボクは大泣きし、庭にヒヨコの墓を作って埋めた。着色されたヒヨコは非常に弱っており、すぐに死んでしまうものである。私のミドリちゃんも、うつろな目をしており、家に帰るまでの短い時間にも何度かよろめいていた。姉のショッピンちゃんも同じような状態であった。
翌朝私のミドリちゃんはもう死んでいた。私は亡く亡くミドリちゃんのお墓をつくり、あまりない思い出を思い出し、亡きヒヨコをしのんでいた。後を追うように姉のショッピンちゃんも死亡した。(『ももこのいきもの図鑑』ヒヨコより引用)
一年後、五年生になったボクは再度、縁日で売られていたヒヨコを買った。しかも「メス」だという。ヒヨコ売りのおじさんが「これはメスだからニワトリになると卵を産むよ」と教えてくれた。
地元の図書館で、生き物の飼い方という図鑑を借り、ヒヨコの育て方を研究し、愛情込めて育てた結果、ヒヨコは途中で死ぬことなく、日に日に成長し、ニワトリになった。しかもりっぱな雄鶏(おんどり)になった(笑)。メスではなかったのだ。当時、縁日ではオスのヒヨコをメスだと偽って売るのは常套手段だった、ということを後年、知った。
りっぱな雄鶏に育ったメスのヒヨコは、毎朝、早朝から「コケコッコー!」と大きな声で鳴き、近所迷惑になるということで、ボクが学校に行っている間に、母が近所の農家さんにお願いして絞めてもらい、鶏肉にされてしまった。ボクはそのことにショックを受け、中学を卒業するころまで、鶏肉はいっさい口にしなかった。
さくらももこさんのご冥福をお祈りします。